戦艦大和から少しはなれて、奇跡の駆逐艦と言われた、
「雪風(ゆきかぜ)」の生涯についてかいてみます。


昭和十五年。
雪風は、陽炎型駆逐艦の八番艦として佐世保の海軍工廠にて竣工しました。

〇基準排水量:2033t
〇全長   :118.5m
〇最大幅  :10.8m
〇乗員   :239名
〇速力   :35.5ノット

太平洋戦争がはじまると、雪風には次々と出動命令が下り、
艦艇・輸送船などの護衛をつとめます。

そして、ミッドウェー海戦やレイテ沖海戦に参加。

このレイテ沖海戦で、連合艦隊はほぼ壊滅状態。

戦艦・巡洋艦はもとより、数多くの駆逐艦が大破・沈没するなかで、
ほとんど無傷で生還してきました。

雪風は、傷ついた戦艦長門を護衛して横須賀にもどってきます。


しかし、雪風には休むひまはありません。

次なる任務は、完成したばかりの空母信濃の護衛でした。
(この悲劇の空母「信濃」についても今度かいてみようと思います)


空母信濃は敵潜水艦の魚雷で沈没しましたが、雪風は呉に帰ってきました。


そして、昭和20年。
戦艦大和をはじめとする、帝国海軍最後の連合艦隊は、
海上特攻隊として、沖縄に出撃していきました。


沖縄突入作戦「菊水一号作戦」に参加した、
大和・矢矧・磯風・浜風・朝霜・霞は沈没。

生き残ったのは、雪風・冬月・初霜・涼月だけでした。


沖縄突入失敗により、
内地にもどってきた雪風は、初霜とともに宮津湾にありました。

ここでも雪風には休む間もありません。
7月末には敵艦載機の集中攻撃を受け、初霜は沈没。


開戦当時、新型駆逐艦といわれた12隻の駆逐艦で、
終戦まで生き残った艦は、雪風ただ1隻だけでした。



次回、雪風の戦後編へと続きます。