戦艦大和の初代艦長、高柳儀八(たかやなぎ ぎはち)は、
明治24年4月に佐賀県で生まれました。

佐賀中学を卒業後、海軍兵学校にはいり、
大正2年12月に卒業。


その後、砲術学校に入学し砲術の専門家として歩みはじめます。

卒業後は砲術校の教官をつとめ、
海軍大学にはいります。

卒業後は、軽巡名取の砲術長や連合艦隊の参謀をつとめ、
昭和11年12月には大佐へ進級。


軽巡龍田の艦長や、砲術校の教頭をつとめ、
重巡鈴谷や戦艦伊勢の艦長を歴任。


そして昭和16年11月、竣工されたばかりの戦艦大和の艦長として、
その体を戦艦伊勢から戦艦大和へと移します。

翌年の5月、少将へと進級。

6月にミッドウェー海戦に参加。
しかし、直接戦闘に参加することはなく、
日本は4隻の空母が沈没するなど完敗。


そして8月にはガダルカナル島をかけての戦いがはじまりました。

消耗戦においては、工業力にまさる連合軍に勝てず、
日本はしだいにガダルカナル島からの撤退にかたむいていきます。

そんな中、12月17日付で、第一艦隊参謀長に転任することが決まり、
後任の松田千秋大佐と大和艦長を交代。


大きな戦闘をすることなく、大和艦長の座を退きましたが、
砲術の専門家として、海軍兵学校において、
教育にたずさわり、軍令部次長まで昇進しました。


そして昭和48年12月29日、初代大和艦長、高柳儀八 死去。
享年 82歳。