昭和18年9月7日。

3代目艦長として、大野竹ニ(おおの たけじ)大佐が大和艦長に就任。


大野竹ニ大佐は、明治27年、東京で生まれました。

大野大佐は、言わば名門出身で、
実の父親は日露戦争時には軍令部次長兼艦政本部長をつとめ、
のちに海軍大将として元帥府に列した、伊集院五郎。


大野竹二は、大正5年に海軍兵学校を卒業。
その後、3年間イギリスに留学。


太平洋戦争がはじまったときには、
軽巡木曽の艦長についていました。


そして昭和18年9月、重巡鈴谷の艦長をへて、大和艦長へと転任。


大野大佐は大和艦長に就任したものの、
海戦に参加することもなく、月日がながれます。

2ヶ月後の11月には少将に進級。


翌12月に大和は横須賀に帰還。
陸軍部隊を乗せ、再びトラック箔地むかいました。


このとき、戦艦大和は右舷にはじめての魚雷命中を受けます。

しかし、魚雷を受けたことにすら気付かなかった乗組員もいたとか。
実際に大和の被害といえば、
30メートルにわたりバルジ部分が破壊された程度のものでした。

もちろん航行になんの支障もなく、そのままトラックへと入港しました。
乗組員にとってますます大和の不沈艦としての信頼は大きくなります。


そして昭和19年1月、修理のためにふたたび呉へ帰還。

同月25日、わずか4ヶ月という短い期間で、
大野竹二少将は戦艦大和艦長をはなれ、
かわって森下信衛大佐がその任につくこととなります。