空母信濃の最後

空母信濃がその巨艦を海に浮かべて5日後の、1944年11月24日。

すでに日本本土はアメリカの爆撃機B−29による空襲が頻繁に行われるようになっていました。


信濃艦長、阿部大佐のもとに、連合艦隊司令長官より命令がでます。

内容は、信濃および第17駆逐隊は空襲の危険がある横須賀を離れ、
安全な瀬戸内海に向かえというものでした。


しかし、多数のアメリカ潜水艦が出没するようになっていた日本近海も安全とはいえなくなっていました。

不安を覚えた阿部艦長は、
艦が攻撃を受けたときの応急処置責任者を呼び問いただします。

「まだ未完のこの艦で、無事に瀬戸内海に到着することができるか」
返ってきた答えは、
「自信が持てません」。

よほどのことがないかぎり、艦長に面と向かってこんな答えは返せません。

それほど信濃は完成からほど遠い状態でした。


しかし空襲の危険も迫っており、何より連合艦隊司令長官からの命令ともあれば、
瀬戸内海に行かなければなりません。

阿部艦長は出港日を11月28日と決めました。


阿部艦長と駆逐艦の艦長たちとで航路と出港時間の打ち合わせが行われました。

やがてこの打ち合わせは激論へと発展していきます。


信濃を護衛する駆逐艦の艦長たちは、敵潜水艦の夜間攻撃は防ぎきれないことから、
未明に横須賀を出港して、昼の間に本州沿岸を行く航路を主張しました。

駆逐艦の艦長たちは、すでに日本近海に多数のアメリカ潜水艦が出没しており、
その危険性を充分にさとっていたのです。


しかし阿部艦長は、薄暮に出撃して、東京湾口から南下して外洋を南東方向に進み、
途中で西に進路をかえて、豊後水道に向けて北西に進む航路を主張しました。

「その航路では、東京湾口と紀伊水道で潜水艦からの攻撃を受けてしまう!」
駆逐艦の艦長たちは反対します。


航路と出港時間を一任されていた阿部艦長は、
自身の主張をおしとおしました。



こうして11月28日、空母信濃と駆逐艦濱風・磯風・雪風は横須賀を出港。
いったん、金田湾にて漂泊。
午後6時、暗闇の中を外洋に向け進みはじめました。


しかしそのわずか3時間後には、アメリカ潜水艦アーチャーフィッシュに発見されてしまいます。


対潜警戒のためジグザグ航行で進んでいた信濃を、
アーチャーフィッシュ艦長、ジョセフ・エントライト中佐は冷静に追っていきました。


6時間後、信濃にめがけて6本の魚雷が発射されます。

4発の魚雷が信濃の右舷に命中!

すべての命中個所から浸水がはじまりました。


阿部艦長はただちに防水を命令します。

右舷から浸水したため、左舷に海水を入れて傾く角度を平行にたもとうとしたのですが、
いっこうに右への傾きが回復しません。

実はこのとき、乗組員の艦への錬度不足から重大なミスがおこっていました。

まず、右舷が浸水しはじめたので、左舷へ海水を入れて傾きを直そうとしたのですが、
まちがって、右舷に海水を入れてしまい、さらに傾きの度合いが増していったのです。

この間違いに気付いて、右舷の注水を中止するため弁を閉めたのですが、
完全に閉まっていないままの状態で放置されました。


魚雷命中から7時間、乗組員による必死の防水、排水作業もむなしく、
空母信濃は右側に横倒しとなると、艦首を立てたまま海底へと沈んでいきました。

その巨艦を海に浮かべてから、10日目の出来事でした。


後に駆逐艦の乗組員は、信濃が沈んでいく様子を「まるで白昼夢をみているようだった」と語っています。


阿部艦長は無傷であり、いつでも脱出することはできたのですが、
信濃と運命を共にしました。

阿部大佐を含め、信濃乗組員の戦死者は791名。


空母信濃の飛行甲板は1度も実戦で使用されることはありませんでした。




seyamato at 17:44│Comments(4)空母信濃 
この記事へのコメント
1. Posted by 斉藤 俊重   2006年04月29日 14:09
信濃の最後の件です。左舷注水を間違えたとありますが、それは間違えで、注水は行われたけれども陸岸近くに座礁をさせようと、航海ををつずけたため魚雷の破口が水圧のため広がり右舷に傾いたようだ。
当時の電気艤装員の海軍大尉は左舷注水のために命令で上甲板にあがったために助かったと話しておられました。ご参考まで・・・・
2. Posted by タナカ   2006年04月30日 20:08
斉藤さん、コメントありがとうございます。

ご指摘いただいた箇所ですが、私の言葉足らずでした。


右舷の操作弁を閉めたあと、左舷への注水も行われています。

その右舷の操作弁が完全に閉まっていないままの状態で、左舷への注水が行われたので、左舷注水がうまく機能しなかったと言われています。

訂正しておきます。
3. Posted by よしおっち   2006年07月13日 23:07
ご覧になったコトありますか?
ワタシの友人のサイトです。

http://www.geocities.jp/nazonomshi/rajikon74.htm
4. Posted by 松永 聡と航空母艦信濃   2012年10月24日 21:14
3 実戦経験を踏まずして沈没した信濃。戦局が悪化し
物量・兵員ともに日本軍には不利な状況に置かれた
航空母艦の就役。航空機と航空母艦を主に増産する形で、持っていけなかったものだろうか。
当時の日本が立地した環境が、あまりにも自由に
物事を考える場所が無かったのだろう。
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