戦艦大和の誕生

1937年(昭和12年)8月21日。


日本海軍で140番目に計画された戦艦であることを示す、『A一四〇F6』の建造訓令が出された。


その主要目は以下のとおり。



全長  263メートル

最大幅 38.9メートル

排水量 公試69,100トン
     満載状態72,809トン

速力  27.46ノット

重油量 満載時6300トン


主砲  46センチ3連装砲塔3基9門

副砲  15.5センチ3連装砲塔4基12門

高角砲 12.7センチ連装砲塔6基12門

機銃  25ミリ3連装8基24挺



1940年(昭和15年)8月8日。

呉市内では、早朝から陸戦隊の市街演習が突然はじまり、交通が遮断されていた。


その頃、呉の工廠ドッグ内では、1号艦の進水式がはじまろうとしていた。

当初、この進水式には天皇陛下が臨席する予定であった。


しかし、突如中止となり、ときの海軍大臣吉田善吾も欠席となった。



市民から1号艦を隠すために、ドック内の海上には煙幕がはられ、海軍大臣の代理として、司令長官日比野中将が封書を読みあげた。

「命名書。軍艦大和。昭和十二年十一月四日其の工を起し、今や其の成るを告げ、ここに命名す。昭和十五年八月八日。海軍大臣吉田善吾」


大和と命名された1号艦は、煙幕のはりめぐらされた海上へと進んでいった。


後に世界最大最強と言われた戦艦大和の進水式は、あまりも寂しく静かなものだった。


進水式を終えた大和の艤装工事は順調にすすんでいた。


しかし、艦政本部からの再度にわたる工事の繰り上げが要求される。


すでに世界情勢は緊迫しており、日本はドイツとイタリアと同盟を結んでいた。


独ソ間での戦いが勃発し、日本もアメリカとの開戦がさけられない状況にあった。



当初の引渡し予定であった1942年6月15日から、半年も予定が繰り上げられた1941年12月16日。


戦艦大和に軍艦旗が掲揚され、連合艦隊の第一戦隊一番艦となった。



それは、日本が真珠湾を航空機で攻撃した日から8日後のことであった。




seyamato at 18:36│Comments(0)戦艦大和の生涯 
この記事にコメントする
名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔