大艦巨砲から航空機の時代へ

連合艦隊に加わった戦艦大和は、柱島にて時の連合艦隊司令長官、山本五十六を迎えることとなった。


昭和17年2月12日、長く連合艦隊旗艦をつとめた長門にかわり、大和のポストに大将旗がひるがえった。


山本五十六長官は、最後まで大和型戦艦の建造に反対していた。

これからの時代は航空機が主力となり、大艦巨砲の戦艦はいらなくなると気づいていたからである。


無理をして大和や武蔵を作るよりも、航空機の充実をはかるべきだと主張していたが、当時の海軍は大艦巨砲主義の考えでかたまっており、これを説得することはできなかった。


最後までアメリカとの戦いには反対していた。

ドイツとイタリアと同盟を結ぶことにも反対していた。

海軍軍縮条約の破棄にも反対していた。


山本長官は海外赴任の経験があり、日本と世界の国力の差をいやと言うほど痛感していたのである。



しかし、経済封鎖により追いつめられてった日本は、世界を相手に戦うことを決意する。


皮肉にも、最後までアメリカとの戦いに反対していた山本長官は、連合艦隊司令長官として陣頭指揮をとることになったのである。


長期戦になれば、国力に劣る日本は必ず負ける。

早期に戦いを終わらせるために、先に戦争の主導権をにぎる方法はないものか・・・

考えに考えた山本長官は、ある画期的な攻撃方法をあみ出した。



それは、航空機によって真珠湾を攻撃し、アメリカ海軍の艦艇群を壊滅させることであった。


航空機の性能は発達していたが、これを最大の攻撃力として使用するという戦術は、まだどこの国も採用していなかったのである。




昭和16年12月2日、空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」をはじめとする機動部隊はハワイに向かっていた。

ぎりぎりまで続いていた日米交渉は決裂。



午後8時、ハワイに向かっていた機動部隊に、連合艦隊から戦闘行動開始の暗号電報がとどいた。

ニイタカヤマノボレ、一二〇八」、と。




12月8日、真珠湾攻撃に向けて空母から航空機が飛び立っていった。


午前7時53分、当時の連合艦隊旗艦長門にいた山本長官のもとに電報がとどく。

トラ、トラ、トラ

それは、航空機部隊による真珠湾の攻撃が成功したことを知らせる暗号であった。



湾内に停泊していたとはいえ、航空機が戦艦を破壊沈没させたのである。


山本長官は自ら立案した作戦により、これからの戦いは航空機が主力になることを証明してみせた



その後、機動部隊はラバウル、ニューアイランド島、ポートダーウィンを攻撃、そしてインド洋の制圧に成功し、連戦連勝を重ねていったのである。




開戦から五ヶ月、大和をはじめとする戦艦以下の連合艦隊に出番はなかった。

柱島にて訓練の日々が続いていたのである。


しかし、いよいよ戦艦大和にも出撃の機会がきた。


ミッドウェー作戦である。




seyamato at 19:29│戦艦大和の生涯