追いつめられていく日本海軍と共に・・・

ミッドウェー海戦後の8月。


アメリカ軍が大挙してガダルカナル島へ上陸した。


不意をつかれた日本軍は、建設したばかりの飛行場を奪われた。


日本軍は激しく抵抗するも、戦力の逐次投入を繰り返すだけであり、戦局を打破することは終ぞできなかった。


アメリカ側の物量作戦には到底かなわなかったのである。


このガダルカナル島での戦死者、及び戦病死者は、2万5000人を越える。

そして24隻にものぼる艦艇を失った。




昭和19年、マリアナ沖海戦で行われた、史上初の空母対空母の戦い。

この戦いに日本は大敗。


空母『大鳳』『翔鶴』『飛鷹』3隻が沈没。
『瑞鶴』『隼鷹』『千代田』は損傷。

さらに200機以上の航空機を失い、空母機動部隊は壊滅状態に陥った




マリアナ沖海戦から4ヶ月後の10月17日。

フィリピン奪回のため、レイテ湾にアメリカ軍が上陸を開始した。



捷一号作戦が発令され、大和をはじめとする戦艦7隻、重巡11隻、軽巡2隻、駆逐艦19隻からなる第一遊撃部隊は、レイテへと向かった。



かつて太平洋を我が物とした空母機動隊は、作戦成功のため、残存する戦力を結集しておとりの役目を担うこととなった。


戦艦部隊に与えられた役目は、おとり部隊によってアメリカ軍が北方に誘い出されたすきにレイテ湾に突入するという、殴りこみの役目であった。


すでに日本海軍には、常識的な作戦を行う能力がなくなっていたのである。


後にレイテ沖海戦といわれるこの戦いは、追いつめられた日本海軍による特攻作戦であった。




seyamato at 19:05│Comments(0)戦艦大和の生涯 
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