戦艦大和(せんかんやまと)

太平洋戦争時、日本海軍の象徴として誕生した、巨大戦艦大和の造形美をお伝えしています。
「大和は世界一美しいフネだった。・・・青春を犠牲にして悔いのないフネだった」(元大和乗組員)

戦艦大和(せんかんやまと) イメージ画像

戦艦大和の歴代艦長

第二艦隊参謀長となった森下信衛少将から戦艦大和の艦長をひきついだのは、水雷学校の教頭をしていた、有賀幸作(あるがこうさく)大佐であった。 そして有賀大佐は戦艦大和最後の艦長となった。
『戦艦大和五代目艦長 有賀幸作大佐』の画像

戦艦大和の艦長として、乗組員から絶大なる信頼を受けた森下信衛大佐。 明治28年、愛知県で生まれ、大正6年に海軍兵学校を卒業。 水雷一筋の海軍生活を送り、 海軍大学校卒業後は、駆逐艦夕月の艦長をつとめる。 太平洋戦争がはじまったときには、軽巡大井の
『戦艦大和四代目艦長 森下信衛大佐』の画像

昭和18年9月7日。 3代目艦長として、大野竹ニ(おおの たけじ)大佐が大和艦長に就任。 大野竹ニ大佐は、明治27年、東京で生まれました。 大野大佐は、言わば名門出身で、 実の父親は日露戦争時には軍令部次長兼艦政本部長をつとめ、 のちに海軍大将と

初代艦長、高柳儀八より戦艦大和の艦長をひきついだのが、 松田千秋大佐。 松田千秋は明治29年、熊本県大城町で生まれました。 熊本中学を卒業後、海軍兵学校に入学。 大正5年に卒業し、砲術校で砲術を学ぶ。

戦艦大和の初代艦長、高柳儀八(たかやなぎ ぎはち)は、 明治24年4月に佐賀県で生まれました。 佐賀中学を卒業後、海軍兵学校にはいり、 大正2年12月に卒業。 その後、砲術学校に入学し砲術の専門家として歩みはじめます。

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